AIに自分を見てもらおうと思った

年末の振り返り記事を書いた後、ふと思いました。「自分では気づいていない自分の姿」をAIに分析してもらったらどうなるだろう、と。それで、GPTに自分が書いた文章を読んでもらって、率直なフィードバックをもらうことにしました。

今、マズローの欲求段階ではどこにいるか

AIの診断によると、僕は明らかに「承認欲求」から「自己実現欲求」へと移行しつつある段階にいるそうです。数字としての成果(資産や案件)を意識しながらも、「ただの金額ではなく、人生全体の設計としてどう捉えるか」「社会や組織の成長に関わる仕事をしたい」という視点が文章の随所に出ているとのこと。

つまり、「評価も欲しいが、同時に"意味"も欲しい」——ここが今の自分のコアなんだそうです。確かに、その通りだと思います。

強い部分と弱い部分

強い部分

  • 合理性(数字・仕組み・構造で捉える)
  • 長期視点(5年・10年の視野)
  • 自分を俯瞰しようとする意識
  • 内省力(振り返る習慣がある)
  • 学び続ける姿勢

弱点として表れやすい

  • 評価への依存(「認められて初めて意味がある」感覚)
  • 自分をやや厳しく採点しすぎる
  • 合理性が過ぎて、少し"狡さ"に接近しやすい
  • 「最大効率」「最短」「得する方法」が過剰になると起こる副作用
  • 感情(喜び・誇り・怖さ)を文章に出しにくい → 文章がやや「報告書」寄りになる

「中身の価値を上げなければいけない」と思いながらも「評価されたい気持ちは強い」——これは矛盾ではなく、承認段階から自己実現段階へ移行する時、誰もが通る"橋"だそうです。耳が痛いですが、確かにその通りです。

「狡さ」に走る危険性について

合理性を突き詰めると、税制の最適化、手間を減らす、仕組み化、投資(効率)といった分野で、「勝ち方のゲーム」に寄りすぎる危険があると指摘されました。このとき失われるのは、「誇れるストーリー」です。人は"効率の結果"ではなく"どんな生き方で到達したか"を最後に評価する。ここを忘れない限り、合理性は最大の武器のままだと。確かに、これは胸に刻んでおきたいです。

文章の癖:事実、事実、事実、感想

これは特に刺さったフィードバックです。文章力は「悪くない」とのことでしたが、構成が"情報羅列型"に寄る傾向があると指摘されました。事実 → 事実 → 事実と並べて、その後で「感想」をまとめて書く。確かに、その通りです。

理想は、事実(何があった)→ 意味(なぜ重要だったのか)→ 自分(何が変わったのか)という流れ。これが強化されると、「読む人があなたの人生を追体験できる文章」になる。

なぜこの構成が重要なのか? それは、読み手のためだけではなく、自分自身の思考を深めるためでもあります。事実を並べるだけだと、「何が起きたか」は記録できても、「なぜそれが重要なのか」「自分はどう変わったのか」という内省が抜け落ちます。

事実と感想の間に「意味」を挟むことで、出来事を自分の成長物語として消化できる。これは文章力というより、思考の習慣の問題なんだと気づきました。報告書のように事実を積み上げる癖を直さないと、人生の出来事を「ただの記録」で終わらせてしまう。

まとめ:AIで思考の癖を矯正できるかもしれない

このフィードバックを受けて、AIで自分の考え方の癖を矯正できるかもしれないと思いました。自分では気づかない思考パターン、文章の構成の癖、評価依存の傾向——こういったものを客観的に指摘してもらえる。友人や上司に「俺の文章、どう思う?」と聞くのは気が引けるけど、AIなら遠慮なく率直なフィードバックをくれます。

大事なのは、細かいテクニックではなく思考そのものを変えることです。事実を並べるだけの報告書思考から、「意味」を問う内省思考へ。「認められたい」という承認欲求から、「役に立ちたい」という価値創造へ。そして、効率を追い求めすぎて「誇れるストーリー」を失わないように気をつけること。

自己分析ツールとしてのAI——これは今後、もっと使いこなせるかもしれません。自分では見えない盲点を、AIが鏡のように映し出してくれる。そして、そのフィードバックをもとに、少しずつ自分を変えていける。この記事は、そんなAIの新しい使い方を試してみた記録です。